こんばんは!
8月も終わり、、ということで。
大人の夏の自由研究をやってみます!
一緒に横浜について、一歩踏み込んで知ってみませんか♪
横浜新旧!今は、商業施設が並ぶけれど、、?
先日、横浜に訪れる機会があり、
当ブログでもご紹介したことがある
いしがまやハンバーグでランチをしました!
お肉の最後の仕上げ待ち。
大好きなチーズトッピング!
相変わらずのおいしさでした(^^)/
ところで筆者がよく遊びに行くこの辺りは、
「高島」という地名のようです。
先日放送された24時間テレビでも映っていた、日産本社!
横浜駅から少し歩いたところにあります。
かっこいい車がいっぱいあるようですね♪
こちらの住所は、、神奈川県横浜市西区高島1丁目1-1
ということで、こちらも「高島」という地名です。
当ブログではこれまで、横浜の商業施設をご紹介してきましたが、
横浜といえば海!というイメージの方もいらっしゃいますよね。
歴史の教科書でも、
日米修好通商条約により、1859年には横浜港を開港した、という記載があったと思います。
今の横浜は、むかし海だったのですね!
横浜の発展は、鉄道の歴史とともに。横浜は、埋立地だった!
横浜はもともと海で、現在の横浜駅などは実は埋立地ということになります。
海一帯を埋め立てることは、大変な作業に違いありませんが、
明治時代になり、海を埋め立て、新橋-横浜(現桜木町駅付近)間の鉄道が開通します。
その立役者となったのが、「高島嘉右衛門」(たかしま かえもん)。
http://gakkenmu.jp/archive/12832/
材木商として財産を築いた嘉右衛門は、交流があった政府の要人・伊藤博文や大隈重信に、日本の発展のためには鉄道が必要であることを語りました。
ところが、新橋-横浜間を直線の最短距離で走行するためには、横浜の海となっている箇所を超えていく必要があります。
そこで嘉右衛門は、横浜の埋立に貢献し、彼が埋立に貢献した土地には「高島」という名前がつけられることになったのでした。
つまり高島という地名は、高島嘉右衛門が由来なのですね。
http://touyoko-ensen.com/syasen/yokomoto/ht-txt/yokohama01.html
当時、鉄道はなぜ必要だった?
世界では1825年に、イギリスで鉄道が開通され、
その48年後、1872年には日本の鉄道 新橋-横浜間が開通されることになりました。
しかも、明治時代になってからはわずか5年後の話です。
高島嘉右衛門の提案と協力があったからこそ実現したことだと、筆者は感じています。
しかし、嘉右衛門はなぜ、鉄道の必要性を感じていたのでしょうか?
主な理由は、以下の通りのようです。
・物資の輸送に恵まれる
・もしもの時、軍隊の派遣が便利
・明治維新によって仕事がなくなった人たちに、仕事を与えることができる
今でこそ当たり前に鉄道を利用していますが、
鉄道開通前の交通手段は、海上交通を強みとしていた日本。
陸では、徒歩・馬・駕籠(人が人を乗せて運ぶ) が主な手段だったようです。
ふ、不便・・・
そして鉄道開通後、新橋-横浜間の29kmを53分で走ることが可能になりました!
ちなみに現在の所要時間を乗換案内アプリで調べてみたところ、
新橋-横浜間を22分(東海道本線利用)で走行しているようです。
移動にかかる時間が、さらに短縮!
技術の進歩は、すばらしいですね・・・!
まとめ&感想
本日は、横浜市西区「高島」という土地について調べてみました。
普段利用している横浜の商業施設周辺は、昔は海で、
先人たちの偉大な功績があって今があることを知りました!
高島嘉右衛門のすごいところは、やはり、明治政府が鉄道開通をもくろむよりも早い段階で、鉄道の必要性を見出し、政府の要人を説得させてしまったところかなあと筆者は思います。
現代では、画像検索をすれば鉄道の写真が出てくるけれど、当時は「鉄道」の存在を知ること自体が大変だったはずです。
しかも、1825年にイギリスで鉄道が開通され、日本にその情報が知れ渡ったのは1840年になってからのこと。すごく出遅れている!
また、イギリスに留学でもしていない限り、鉄道を見る機会はありません。
それでも、嘉右衛門は人からの言い伝えで鉄道を知り、鉄道の使い道・有用性に思いをはせたのです。
なかなかできることではないなと思いました。
現代でも「それは何の役に立つのか」「なぜそうなったのか」といった思考は重要視され、学生時代は試験の際に記述式でよく問われたものです。
重要な能力なので、学生時代から鍛えてきたのでしょう。
日ごろから、思考を鍛えていきたいものです!