日本三大中華街の一つ、横浜中華街。
とくに休日は、行列を作るお店が多数!
筆者のお気に入り、梅蘭のカリカリ焼きそば♪
食べ歩きができる!横浜中華街で人気の焼き小籠包♪
(筆者も食べたことがありますが、焼きたてにつき、
小籠包から勢いよく飛び出る肉汁がとても熱いので注意が必要です!)
このように、横浜中華街といえば、おいしい中華料理が楽しめる
日本の有名観光&グルメスポットという感じになっているのですが、
これは、世界的に見ると稀なことのようです。
本日は、そんな横浜中華街の歴史をみていきたいと思います♪
世界のチャイナタウン
中華街、あるいはチャイナタウンは、世界中にあります!
しかし、観光地化している横浜中華街とは、異なる様子。
チャイナタウンは、その国の一角にある、中国人の居住スペースを指していて、
チャイナタウンの中には、中国人が生活を営むのに必要なお店があり、
中国人が飲食店を経営して生計を立てていたりします。
そして飲食店に来店するのは、同じく居住スペースに住む中国人がほとんど。
世界のチャイナタウンは、自国の観光地にはなっておらず、
あくまで「中国人の居住地」として存在しているのですね。
横浜中華街、形成の歴史
江戸の幕末、1858年に日米修好通商条約を締結し、
鎖国状態から開港することになり、開港する港の一つとして選ばれた横浜。
当時の横浜はさびしい漁村といった感じで、人口がたったの500人程度。
少ないですよね!
開港するにあたり、この状態から、横浜の開発の歴史が始まっていきました。
http://www.edu-ctr.pref.kanagawa.jp/kenkyu/jissensendo16/16kenkyu/yokohama/yokohama.pdf
開発された横浜には、外国人居住地ができました。
のちに、その外国人居住地の一角に中国人の居住スペースができ、
それが横浜中華街の始まりです。
そうして横浜中華街に在住する中国人が増えていきましたが、
特に戦争や震災(日清戦争、関東大震災、日中戦争・・・)の際には、人口が減少したり、ばらばらになってしまったことも。。
中華街自体も、震災によって壊滅したり、空襲によって焼け野原になってしまったり、
何度も失われかけました。
しかしこのような状況でも、日本に在住した中国人の方々がいて、
地元の人々とともに乗り越えてきたのでした。
戦後1955年、横浜中華街の復興を願って、善隣門(ぜんりんもん)が建てられます。
https://4travel.jp/domestic/area/kanto/kanagawa/yokohama/yokohama/hotplace/10006426/
今では、横浜中華街らしい象徴的な門です。
門にも「中華街」とあるように、この名前が浸透されていくことになります。
現在のような横浜中華街としての活気を完全に取り戻すきっかけになったのは、
1972年のこと。
日中国交正常化が行われ、その記念として東京・上野動物園にパンダ(カンカンとランラン)が贈られます。
パンダブームが到来し、そこから中華料理も着目されていくことになります。
※カンカンです!かわいいですね!(^^)!
2004年には、横浜高速鉄道みなとみらい線が開業。
今年で15周年!
終着駅名が「元町・中華街」なので、横浜=中華街といったイメージを
持ちやすくなりました。
まとめ
横浜中華街は、おいしい中華が堪能できるだけでなく、
歴史的な街であることをご紹介していきました。
歴史が途絶えず今があることに、感謝したいと思いました。